占いはダメダメな日のビタミン
前まではさほどでもなかったのに、近年、占いを読むのが好きになった。
全然自分のことを知らない赤の他人に、生まれた日の情報だけで運勢がどうとか運命がどうとか、全然言われたくない!と思っていたが、転じて今はその部分が好きになっている。
自分のことを知らない赤の他人がなんか知らないけど独自の法則で、こちらの吉凶を占って「あなたはこうです」と無責任に断言してくれるという状況がとても楽しい。
といっても、特定の誰かに入れ込んでいるわけではなく、色々な占いを満遍なく見て「フーンそうなんだ」と思う程度である。
誰かひとりの人間に入れ込んで、その「あなたはこうです!」に入れ込んでしまったら、それは占いではなくて信仰になってしまう。
できれば、有名でも無名でもとりあえず占っている人が名前を出しているものが好きだ。というか、占い師の有名・無名の境目はどこにあるんだろうか。「この人当たる!」と言われてる人のその根拠も分からないし、基本的に見る占いの占い師さんはただ名前を知っているだけで「知っている人」ではないことが多い。要は、占い師本人のプロデュース能力の多寡でその有名・無名が決まっているといっても過言ではないだろう。
占いは「当たる・当たらない」のベクトルではなく、統計的なものなので、ただ「ある」ものである。
占い師は「教えてください」ときた人に「ある」法則を「こうですよ」と伝えるのが仕事なので、あえて相手を感化しようとする言葉を使う人は好きではない。
基本的に、何人かの占いをいっぺんに見ることにしている。例えば、大切な商談のある日、めちゃくちゃ忙しくなるのがわかっている日、1日過ごしてみて散々でダメダメだった日の夜など。占いを使おうと思うタイミングは限られているので、熱心な「信者」ではない。
特に大事にしているのは、1日を終えてダメダメだった日の夜の占いだ。これはある意味、自身の気持ちのセーフティネットで、チェックのための行動である。
ダメダメだった日の占いは悪ければ悪いほど良い。なぜなら、その日一日がダメダメだった理由を自分ではなく、外部の「運勢」という、自分の責任のは関わりのない巨大なリソースに求めることができるようになるからだ。
「こんなに今日はダメな運勢だったんだから、そりゃーあんなにミスするよなあ。ワッハッハ」と思って、昼の事は水に流して早く寝てしまうのが吉だと、私は思っている。
そういう時に、いい運勢だと書かれていると凹むので、複数の閲覧先を準備している。何個か見れば、大抵どれかはめちゃくちゃ悪く書いてあるものなのです。
ちなみに、主に確認しているのは、VOGUE GIRLの「しいたけ占い」、ゲッターズ飯田の「五星三心占い」、水晶玉子の「オリエンタル占星術」。
ミソは全部、占い結果を出す為に調べるプロセスが違うこと。そして週間単位や暦になっていてピンポイントの日程で運勢がみられる事。ふたつのポイントを満たす事で局所的に「悪い!」と書かれている結果を掬うことができるのです。そしてここに時々、宿曜を足しています。
そんな感じです。