ももんじ通信

ライフログ的なにか

そうして日本の社会は緩やかな死をダイヤモンドに変えた(『売上を、減らそう。』感想)

 

売上を、減らそう。たどりついたのは業績至上主義からの解放(ライツ社)

売上を、減らそう。たどりついたのは業績至上主義からの解放(ライツ社)

 

noteの企画でみた書店営業コンテスト(記事みつからん)で紹介されていたのを見て、面白そうだなと思い購入。

悪い癖なんだけど、新しいビジネスモデルとかで成功する人を勝手に男性だと思ってしまうので、表紙にここまででかでかと書かれているのに途中まで男性だと思っていました。恥ずかしいし直したい。

優しい書き口で運営の考え方が説明されており、読みやすい反面、内容は結構衝撃的でした。

キリなく働く上限のない働き方はやめて、ほどほどに働きたい人は達成目標を一定に定めて、誰でもできる仕事を丁寧に重ねて、1日の目標に到達したらその日の活動はやめにしましょうね。自分の持てる範囲の部分を守っていきましょうね。という内容なのですが、これは資本主義以前の経済活動の中で漁業だったり狩猟だったり農業だったりの自分がいま必要で対価として使用すればそこで生活が成り立つだけのものを獲ったり育てたりするスタイルのように、自分が必要なお金を必要なだけ余裕を持って作っていきましょうね、という言わば最低限のお金を増やすための畑を所有するようなイメージで、積極的な静止あるいはゆるやかな死のための働き方のように感じました。

そして、その働き方が魅力的に見えるのが今の日本の社会なのだなあとも。

例えば上限なく仕事が降ってくる場で働くとして、その中で隣の人よりもひとつ多く作業をこなしたり、一歩でも多く進んだ部分の積み重ねによって見返りがあるというのがこれまでの当然あるべき労働の報酬だったんだと思います。その、「一歩多い」部分がこれまでのコツコツの形だったと思うのですが、現状ではそのコツコツが個人の努力あるいは権利ではなく、義務として経営者が捉えるようになってしまった。だから、そのコツコツは評価されなくなってしまった。

佰食屋のビジネスモデルは、そうではなくて日々の決まったルーティンをこなすことがコツコツだと定義されているため、圧倒的に止まっているように見える。従業員は経営についてクリエイティブな発想を持つ必要はなく、いま、目の前にあることだけに集中することができればそれで良いというものです。

その余暇を、自分の人生を豊かにするために使いたい人のための働き方のモデルのため「仕事=趣味」みたいな人には物足りないかもしれませんが、現在の世の中にピタッとハマる部分がある働き方の形なのだろうなと感じました。

ただ、本書内にもトラブルとして書かれていた不測の事態には弱い局面はあるのだなと。売り上げの多くの部分を商品を良くしたり従業員の待遇を良くしたりという部分(とても大事なことだと思います)に力を入れすぎると、「日々の積み重ね=会社の基盤」という構造になってしまうため、災害時などの長く耐えなくてはいけない局面には弱くなってしまうのだなと。その改善策も含めて、今後見ていきたいなと感じました(本書内で書かれていた佰食屋1/2はそれまでの佰食屋の積み重ねであった100という数字から50は必ず来てくれるという部分があったと思うので、フランチャイズとして佰食屋1/2を出すとその店舗の持つ力はさらに半分になるのでは?というように私は感じました。)

店舗は京都にあるようなので、行く機会があったら行きたいなあ。