いのちを食べて生きるということ
先日、会期終了が近いとのことで大好きな岡本太郎先生の作品に会いに國學院大学博物館へ行ってきました。
思いがけぬ出会いはあるもので、以前渋谷PARCOのアートスペースで開催されていた展覧会で初めて出会い、一目惚れした「雷人」に再会することができました。「雷人」と道具が一緒に展示されることで、少し異様な雰囲気も。
嶽本野ばらさんのエッセイ集『パッチワーク』に「襟を正して向き合いたいこと」を扱った章があるのですが、「雷人」は私にとって襟を正したい存在。
「坐ることを拒否する椅子」岡本太郎 1963(岡本太郎記念館 所蔵)
「坐ることを拒否する椅子」は大好きな作品。座られるために生まれた筈の椅子が、座られることを拒否するというパラドックスに諧謔を感じていたのですが、この展覧会に飾られているとまた別の意味が生まれます。
生き物は、なにかの命をもらって生きなくてはいけないけれども、食べられる生き物は命をもらわれるために生まれてきたわけではない。他の生き物が生きるための命となる生き物は常に、他の生き物の糧になることを拒否しているのだということに思い当たりました。
他にもさまざまな岡本太郎先生の作品を息がかかりそうなほどの距離で見ることが出来たのはとても嬉しかった!
岡本太郎先生の作品の他にも、新鋭の表現者の方々の命にまつわる作品がたくさん展示されていたのは面白かった。
神話の風景をウサギに託して表現されている田中望さんの作品は、一歩離れて見るとウサギの群れが原初の名前のない湧き出した生き物のように見えるのが印象的でした。
「イザナミ」田中望 2014
井上亜美さんの映像作品も印象的。自らも猟に出る彼女の映像作品は、とても淡々と「現代の狩猟」を切り取っていて、画面から伝わってくるひりつくような寒さが心地よかった。全てを見切ることは出来なかったので、タイミングを見つけて観たいです。
ふと思ったのですが、絵や彫刻は作品として写真などを通してとても手軽に見ることができる。同じように、映画も大抵の場合にはお金を出せばその全容を見ることができるけれども、映像の短編作品は特別な機会がない限り、見ることはできます。YouTubeに作品としてアップされるもの(もちろん作者ご本人がアップされたもの)を見るしか無いのかな。以前はYouTubeもなかったからより公開の機会は開かれているんだろうけれども。
展覧会に際して発行された図録は300円でフルカラー。パラパラ見ているだけで、目が楽しい一冊です。
展覧会は2月25日までの開催で、2月24日にはミュージアムトーク「《太陽の塔》と《明日の神話》のいのち」も開催の予定です。
國學院大学といえば、考古学でも有名な大学ですが、こんなものが…。火焔土器を東京オリンピック・パラリンピックの聖火台に、というのは初めて知った運動でした。
展示されている火焔土器も素敵ですね…。
大学博物館のため入館料は無料ですが 、すごく丁寧な展示が面白かったです。
梅の季節ということもあり、天神さまを扱った特別展示があったり、神道と関連した信仰の展示があったりと大学ならではの楽しい展示を見ることができました。
【今日調べた言葉】
勢子(せこ、せご)
鳥獣を駆り出したり、逃げるのを防ぎ、射手がそれを撃ちとるのを補助する者。大物の猟では猟犬とともに行動を共にする。古くからの猟法で、鎌倉時代の『吾妻鏡』や『新撰六帖題和歌』などにその記述がみられる。列卒、狩子とも。
猟犬の種類が知りたくて調べてみたが、地域によって異なっているらしい。日本の猟ではやはり日本犬がメインのようだ。日本犬の種類は6種類・芝犬、秋田犬、紀州犬、甲斐犬、四国犬、北海道犬。種類によっては獰猛で気性の荒いものも。欧米にももちろん猟犬がルーツの犬種はいるようで、意外だったのはプードル。
参考URL
勢子を調べたきっかけは、井上亜美さんの映像作品。勢子の勉強をしているという語りが挿入されていて、初めてその言葉を知りました。