ももんじ通信

ライフログ的なにか

不便なことは美しい

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週末に行きたかった展覧会の会期が終わってしまうとのことで、目黒の東京都庭園美術館で開催中の「装飾は流転する 「今」と向きあう7つの方法」に行ってきました。

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朝香宮邸の建物を使った美術館で、建物自体が展示物。館の裏手にはその名の通り広大な庭園まである美術館です。

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美術館の外観

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玄関前の獅子

 

平日の昼ということで、館内はかなり空いていましたが、小さなお子さん連れのお客さんがいたのが印象的でした。

館内には「ウェルカムルーム」という、現代美術をより身近に感じるためのコーナーがあり、お子さんにも現代美術に親しんでもらえるような企画が充実していたようです。

館内にはケースにも入れられていない展示物が剥き出しで至る所に置かれており、かなり緊張感がありました。建物も展示物として扱われており、壁に不用意に近付こうものならすぐさま注意が飛ぶ。仕方のないこととは知りながらちょっと窮屈かも…と思いつつ、確かに建物の「装飾」もいちいち美しかった。

ただし、撮影はすべてのエリアで可能だったので、バシャバシャ撮ってきました。似たようなお客さんも多く、写真の練習をしている方も結構いました。

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玄関のレリーフ

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シャンデリア

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暖炉のお魚

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妃宮デザインのダクトカバー

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広々とした階段ホール

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階段の硝子円窓

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2回展示室へ続く階段 

現代美術の展覧会にはなかなか行かないので、それぞれの作家さんがそれぞれかなり自由に空間を使って展示を展開していたのが衝撃的でした。

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一階の広い空間を大きく使った展示。

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2階玄関ホール。着ているような着ていないような。お尻が丸出しなのがツボ。

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レインコートの集団。生地の透け感が良い。

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部屋丸ごとを展示に。

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書庫に築かれた豆本の山とハシゴ。戦前の古書を使用か。金箔押しの表紙がキラリ。

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生活空間を活かした展示。

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座ることが出来る展示。

岡本太郎の「坐ることを拒否する椅子」を彷彿とするが、素材はシリコンゴムで座りごこちは上々。

展示を見ながら、頭の中にあったのは昨年インターネットの記事でみた「American Giant」の「快適でないパーカー」のことだった。

快適がいい、なんて誰が決めた? 全米で大人気「人類史上最高のパーカー」の重み - ライブドアニュース

このパーカーは、あえて不快適な着心地を追求することで快適さについて考えることを目的に売り出されたという。

生活する上での機能を重視すれば、すべてのものを装飾のないシンプルなもので揃えることで、生活を整えることが可能だろう。「装飾」はそんな快適さの考え方に逆行する存在だ。装飾性を重視すれば自ずと快適さは遠のく。

そうであることが自明であっても、人間は現在まで装飾を手放さなかった。 

「装飾」はこの上なく贅沢なものだ。あえて不快適さを選ぶだけの余裕が無ければ、人類は装飾を選ばない。

思えば、人間という生き物は、なんと装飾性に乏しい生き物なのだろう。見渡せば、人間以外の生き物はなんと装飾的なのだろう。鮮やかな色のイモムシ、見事なツノのカブトムシ、茶トラの野良猫、ダルメシアン、サイ、ヒョウ、ライオンにキリン…華やかな動物たちのなか、人間のデザインだけどこか貧相だ。

人類の装飾をここまで発展させたのは、そんな劣等感ではないかとおぼろげに考える。

これまで培われてきた装飾は、これからも様々な形で受け継がれて行くのだろう。その途中を立ち止まって眺めるような、そんな展覧会でした。