ももんじ通信

ライフログ的なにか

コンビニはわたしに、生き方を教えてくれた。

生きている上で、どんな場面でどんな振る舞いをするべきか、どんな考え方をもって生きるべきかを自分以外が決定する場面は少ない、と思う。
なにを行う上でも行動を決定するのは自分で、だからこそ責任は自分にかかってくる。それが楽しくもあり辛いところだと思う。
判断の難しい場面や初めて直面したものに対して、私たちは時に随意に動くことができなくなってしまう。
コンビニ人間』である主人公は、行動の判断を下すことが難しい人種である。TPOによって、重ねる年齢によって振る舞いを変えることができない。だから、一度成功するとその行動にしがみついて、結果として失敗してしまう。そんな人種である。
そんな彼女が運命的な出会いをするのが「コンビニ」といういついかなるときにも変わらないTPOであった。コンビニを中心に構成された彼女は、「変わらない」安心感に包まれて日々を送る。
このような状況に立たされるのはなにも「コンビニ人間」だけではないだろう。時には学生として、アルバイトとして、就活生として、勤め人として人はみな安心できるTPOを持っている。新しい環境に踏み出す時には、入門本やインターネットサイトなどの「マニュアル」に目を通し、環境で浮かない手段を考える。
私たちはいついかなるときも何らかの形で「コンビニ人間」である。取り換えのきくパーツとしての人間として生きることに安住していると教えてくれるのが『コンビニ人間』なのだ。

 

コンビニ人間

コンビニ人間

 

 この書評はシミルボンに2016年12月30日に掲載したものです

コンビニ人間 - コンビニはわたしに、生き方を教えてくれた。 - シミルボン