ももんじ通信

ライフログ的なにか

3時間虚無の時間を過ごせる映画(映画「沈黙-サイレンス-」感想)

友人にも勧められていて、小松菜奈も出てるのでAmazonプライムで映画「沈黙-サイレンス-」を視聴しました。

 

沈黙 -サイレンス-(字幕版)

沈黙 -サイレンス-(字幕版)

  • 発売日: 2017/07/12
  • メディア: Prime Video
 

 

めっちゃくちゃ暗い!という評判を聴いていたので、日曜の夕方から観る作品ではなかったな……。3時間くらいあるし……。

沈黙、とは神の沈黙のことで、生きる上での受難について神が啓示をするわけでもなく沈黙を貫くことを示しています。日本においてキリスト教が弾圧されまくった江戸時代初期・17世紀が舞台になった本作。

自身の師である宣教師・フェレイラの噂を聞いた2人の宣教師はフェレイラの消息を掴むために日本へ向かう。そこで目の当たりにする日本での信仰のかたちと、その弾圧が描かれるのが本作。

拷問や弾圧のシーンが本当に陰惨でめっちゃくちゃ気持ちが暗くなった……。キリスト教を信じる人民たちは、死後やすらかに「パライソ」に行けると信じ、諾々と拷問を受け入れる。司祭が訪れたことで自身の罪に許しを乞う告悔も盛んに行われ……。

これらの信仰の様子を見ていて思い出したのが、高校の日本史で学習した浄土宗の「南無阿弥陀仏」を唱えれば極楽浄土に行けるという他力本願の考え方でした。

そもそも、渡来した仏教の考え方を「本地垂迹説」と土着の神道にスターシステムさせちゃう信仰の土壌がある日本で、キリスト教的な絶対神の考え方はそのまま飲み込むのがめちゃくちゃ難しい思想であり、人民が結局信じているのは毎日昇る太陽に象徴される「大日」である状況。それであるのに、異郷の啓蒙すべき土地である、と心のどこかで日本国を蔑み貶めている宣教師たちはその言葉や文化を知ろうともしないためその信仰が歪められ、形を変えた邪教であることにも気付かず、その熱心さに心を打たれる……。

全編のその気持ちの食い違いがあまりに虚しくて、悲しかった。虚無。ただただ虚無。3時間の虚無。

「日本という沼地には、キリスト教という樹木は育たない」という井上奉行の台詞が全てであり、民衆よりもキリスト教を研究した幕府側の人間が邪教に成り下がった信仰に対して、その根絶のために弾圧を行なっている。そのシンボルがキリスト教的なもろもろであり………。

それこそ、底のない沼地に放り込まれたような不安定な気持ちになりました。

全編に渡って登場するキチジローはそんな民衆の中でいちばんキリスト教的な信仰を体現していると思いました。自分への害を避ける為に目に見える踏み絵などの棄教行為が厭わず行うのに、誰よりも救いと赦しを求めて繰り返し告悔を行い。最後には隠し持っていたお守りの中のキリスト像のために捕らえられてしまう。

目に見える形ではなく心での信仰を重視している日本人は作中で唯一キチジローのみなのですが、それに対し宣教師ロドリゴは出会ったばかりの小汚く情緒の安定しないキチジローに対し、「このような者にまで神は愛を注がねばならないのか……」と独白しており、めっちゃ辛辣〜〜〜〜!ってなりました。そうだよ!!むしろ信仰ってこういう奴のためにあるんじゃないの!!?となりました。

最後に本作の小松菜奈。敬虔な信仰を保つ村落の少女として登場。顔は泥だらけで髪もボッサボサで、これまで見たことのあるキラキラな小松菜奈ちゃんとは一線を画していた……。

とにかく3時間、とことん悲しい虚無の時間が過ごせるという点で優れた作品です。