ももんじ通信

ライフログ的なにか

新春映画!で「寅さん」が見られる世界線

寅さんを観てきました!新春映画で。三が日最終日に。

寅さんの49作目が公開されたのが1997年11月22日ということなので、現役で寅さんを観ることができていた時期には、ようやく物心ついた頃で、寅さんのとの字も気にせずに生きてきたことになるのですが……。

家族が寅さんが好きで、それこそ以前にBSで放送されていたものなども全部録画である状態のようなのですが、まあ寅さん好きなのね……ってくらいでこれまで過ごしてきたわけです。

家人はほぼ無自覚のオタクでなおかつ好みの作品がほとんど被らない上に、作品を薦めてきたと思ったら「いいよね……」としか言わないタイプのプレゼン苦手オタクなので、これまでそんなに寅さん自体には興味を持たずに暮らしてきました。

ただ、数年前から浪曲玉川太福さんが「男はつらいよ」の浪曲化にチャレンジしているということで、本編は観られていないけれども浪曲で何本かその内容に触れて、じゃあせっかくやるなら行ってみるか!という様相で出かけてきたのが今回なわけです。

こっちもこっちでオタクなのでソロプレイで作品を深めていく方が好きなんだなあ……。

新春映画といえば、それこそザ・昭和!な文化のイメージ。小さい頃にギリギリ釣りバカ日誌がお正月頃にやってたっけ…?くらいの感慨で、特に正月に映画を見に行く文化もなかったわけですが、行ってみると楽しいですね。レイトショーにも関わらず客席もそれなりに埋まった夜の映画館というのもワクワクしました。

生まれた年代的には土台無理な「新春映画で寅さん」という体験をできた貴重なお正月となったわけですが。

寅さんシリーズはほぼほぼ未履修なので、これから一個ずつ観ていく予定ではあるのですが、未履修の身から観ると50作目は「ゆるやかな敗戦処理」のような映画。

49作目から二十余年が経ち、青春時代を送っていた満男も既に初老にさしかかる頃。娘も手のかからない年代に差し掛かって、満男自身も自分の時間を新しい夢に向かって使い始める年代に差し掛かっている。一方で、柴又でいつも寅さんを待つ役割を負っていた妹・さくらもすっかりおばあちゃんとなっていて、「くるまや」の奥座敷の階段には手摺りが設置されており、かつてと同じ居間のなかで異彩を放っているのだった。

50作目で描かれているのは49作目から50作目のあいだに空いてしまった登場人物たちの青春のいわば残像のようなものだと感じました。初恋の相手、泉と別れた満男は伴侶を得て家庭を設けており、海外へ行ってしまった泉自身も家庭をもち生活をおくっている。さくらは漂泊のひとである兄がいつか戻ってくるのではないかと思いながらも日々の生活を積み重ね、寅さんと「いい仲」だったリリーも、過去に思いを馳せながら自身の人生の終着点を見つめている。

それぞれの人生の道筋はたいだい決まってしまっていて、ただ、ほんの少し思い切れば新しい方向へ舵が切れるのかもしれない。だけれども、思い切って舵を切ることもできずに考え込んで、結局は生活の中に埋もれていってしまう。

生活をほっぽり出して飛び出して行ってしまうシンボルとして、寅さんが回想の中に登場してくる、回顧録のような映画でした。

満男自身は寅さんとは真逆の決めきれない男で、喋り方も子供のままみたいでそれがなんとも苛立たしかった。また、山田洋二映画に登場する「現実にいるか・・・!こんな女が・・・!」というタイプのフワフワした女も何人か出てきてご愛敬。

倍賞千恵子さんをはじめ、浅丘ルリ子さん夏木マリさん美保純さんなどめっちゃくちゃ可愛い女優さんがたっぷり出てきたのが眼福だった。特に浅丘さんは劇中に出てくる49作目のときから1ミリも顔が変わってなくて「20年経った?あれ…?」という気持ちになってしまった。時間を超越する女である……。

一番気に入ったシーンも、浅丘ルリ子さんのシーン。寅さんとの思い出を満男に語るリリー。嬉しかったことも楽しかったこともあるだろうに、人に話して聞かせる思い出は結局、楽しいながらもすこしやり切れない話になってしまうのだなあ。一番楽しかったことは、人には言わずに取っておくのかも知れないなあと思ったらウルッとしてしまいました。

 

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